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ザ・グリン・バレー・トラムウェイ・トラストは、チャリティー団体として登録されており、チャークとケイリオグ谷にあるこの趣のある小さなトラムウェイのレクリエーションのために活動しています。

 

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歴史の再現・・・the“Little bit of Heaven Railway” (なんだか天国を走るような鉄道)の異名を持つこの歴史的なグリン・バレー・トラムウェイの一部分が、昔の全盛期のように再現したいと願うグリン・バレー・トラムウェイ・トラストのボランテアによって、修復されつつあります。

 

“ウェールズへの入り口”であるチャークは、レクサム州の端にある小さくてきれいな町で、そして美しいケイリオグ谷の始まる所でもあります。今、このトラストの活動の焦点は、トラムウェイの再建に努力することで、チャークでは、再び、絵のような風景のなかを蒸気機関車が走りぬけるのを見るために、本気で取り組み始めました。

 

チャークのすぐ向こうには、ロイド・ジョージが“A little bit of Heaven on Earth”(なんだか地球上にある天国のような所)と言いあらわした、ケイリオグ谷が広がります。ここを訪れた人たちは、今は牧歌的なこの谷が、その岩や鉱物資源の上に広がる豊かな工業遺産地域であることを、発見して驚くかもしれません。当初スレートは荷馬で、グリン・ケイリオグから丘を越えてスランゴスレンまで、そこではしけに積み替えてその先へ運ぶという、順調にいっても時間のかかる不経済な方法でした。

 

1873年に、ナロー・ゲイジ(狭軌) 鉄道は建設され、エンジンパワーが、それまで荷物を背負って働いてきた馬にとってかわりました。工業がトラムウェイをつくりだし、そのトラムウェイの存在が、つぎつぎに他の工業を生み出した訳です。この谷からは、たえず大量のスレートを送り出し、そののちには花崗(かこう)岩、陶磁器用原料となる石、道路用の砕石や、火薬なども加わりました。工場からは布地、そして最も革新的だったのは、この谷のマス水産業者から、生きたままのマスを出荷したことです。

 

蒸気パワーの到来とともに、全過程が加速し、スレート車両にまじり、他の鉱物を乗せた貨物車両と共に、客車が加わることが、標準となりました。その行程で、乗客は、沿線を流れるケイリオグ川を風景の中に垣間見、列車がポントバドッグに到着すると、たくさんの乗客たちは、列車が待っていてくれることを期待し、スワン・インでの一杯を楽しんだものでした。そのインから出てくる最後のお客は、あわてて道を渡らなくてはならず、列車がドルウェルン、グリン・ケイリオグへ向けて出発する前ぎりぎりに、かろうじて列車に飛び乗るといったことがしばしばありました。

 

この当時のユーモラスな絵葉書には、トラムウェイのモットーは“あわてない、心配ない”で、“10分間停車は花をも摘むこともできた!”と強調しています。最後の列車がこの谷を走り抜けたのは1935年のことです。そのニュースは知れ渡り、たくさんの地域の人々が、もう戻ってこない最後のトラムが通り過ぎるのを見に、グリンにやって来ました。

 

ポントバドッグとドルウェルンの待合室は元からある場所に今でも残っています。1950年には、州の役人がポントバドッグの待合室を、税金収集のために使ったことから、地域の人たちは“ポントバドッグ市庁舎”というあだ名を付けました。その後、パブとなり、また趣のあるちいさな手工芸品のお店として、使われたこともありました。

 

A483 / A5のチャーク・バイパスの開通が、ケイリオグ谷の経済にとって打撃となったのは、この領域に来るはずの旅行者の大部分が今や、バイパスからぬけてA5 でスランゴスレンへ、あるいは、もうすこし北を目指し、2車線ずつにわかれた高速道路のA55に合流して、北ウェールズの観光アトラクションを利用するなどというように、北に向かって足早に通り過ぎていくからです。ザ・グリン・バレー・トラムウェイの復活が、商業的バランスを取り戻す助けとなり得るでしょう。

 

ザ・グリン・バレー・トラムウェイ・トラスト・カンパニー・リミテッドはデータ保護条例に基づき、登録されています。登録番号06240369、税金登録番号938 2991 75

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